長くなったので記事を分けました。

稀にDM等でお問い合わせがありますが、「青春迷宮(伊波真人先生)」は挿絵付き短歌作品集です。 挿画として全うしたお仕事で、私個人や共同での画集・作品集ではありません。

こちらのチェックも甘く紛らわしい書き方や宣伝内容となり(一貫して「挿絵」とは書いていますが…)、フォロワーの皆様には曖昧な表現で誤解を招き大変申し訳ありませんでした。
出版元でも今後は実情に即した宣伝を心がけて下さるそうです。

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と伺っていたのですが、私の立場もなかなか周知されないまま、版元のほうではいまだに曖昧な表記が繰り返されたり、「画集」などと書かれた誤解を招く感想が拡散されたりしています。

購入して愛読されている方もいらっしゃる中、本当なら黙っておくべきことかと思います。しかし私の今後の活動にはかかわることなので、ここには詳しい顛末を記しておきます。

私の意識の低さが招いたことで、本当に何の罪もない読者の皆さまには重ね重ね申し訳なく思っております。

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そもそも本件は明確に「この著者の作品集を作りたいが、短歌だけだと部数が出せないので絵が欲しい」という担当編集者の方からの打診をうけて受注したお仕事です。
当初のお話では「高校時代が舞台のループもののSF仕立ての短歌集」と伺っていました。とても面白い試みだと思いましたが、受注後に届いた本文は全く違う内容でした。

成り行きで多くの挿絵を描くことになったとはいえ、私個人はごく狭い意味での「青春」に何の思い入れもありません。高校時代という人生のほんの入口の一瞬だけが誰にとっても最高の時だとばかりに賛美する趣味や主義にはむしろはっきり反対する立場です。人を「若さ」や「思い出」に縛り付け、エイジズムを助長するという意味では害悪だとさえ考えています。

そういう作家の意向が反映される余地なく仕事として制作されたものが、本人の著作でもあるかのように誤解を招く形で宣伝されることには違和感しかありません。私は本書のタイトルもいつ決まったのか存じ上げないのです。

さらに言うなら(他の仕事ではまずないことですが)、送られてきた本文を読んでかなり自分の適性に悩み、率直に内容に共感できないことを伝えて辞退も申し出ていました。しかし、担当編集者からはプロなら内容に口出しするな、もう決まったことだから最後まで描けという強い調子の返答で聞き入れられませんでした。作品作りと違い、仕事とはそういうものかもしれないと考え、私は何とか全ての作業を全うしました。

自分の思いや創作性にこれほど反するものが単に出版社の都合で「著作」とされてしまうなら、イラストを描く意味って何なんでしょうか。仕事でやむを得ず描いた絵も自ら望んで作ったと見なされることが普通なら、私はもう商業イラストを描くことができません。自分の支持する考え方や世界観を表現すること、少なくとも反対する主義主張には加担しないこと、それが私にとって創作を続ける大きな動機だからです。

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当たり前のことですが私はこれまで、商業イラスト依頼の内容が自分にとってつまらなかろうがおもしろかろうが、共感できようがそうでなかろうがこういう場所で表立っては何も言わず、すべて仕事として全うしてきました。素材としての立場を弁え、内容をジャッジする立場にはない、おこがましいと考えています。

今回こうして内容に関する見解や自分の立場を述べなければならないのは、この一連の挿画が単なる素材の域を超え、私が自らのモチベーションに従い望んで描いた著作(画集、作品集)と同様に扱われ、誤解されている方が実際におり、それを助長するような発信が未だになされているからです。

私の画集や作品集として出版、宣伝されるつもりであればなぜ単独での企画ではなかったのか。共著であってもなぜ縁もゆかりもない著者の本文に合わせる形となったのか。また何より著者にとって大事な内容やコンセプト自体がなぜ本人の意向に反するものなのか。疑問ばかり残ります。

出版物の著者となること自体が名誉でありがたく思うべきだ、キャリアの浅い若輩のくせに不遜なことを言うな、という発想も世間にはあるかもしれません。しかし私は著者本来の世界観や主義主張が歪められるくらいならそんなものは刊行されない方が本人のためだと考えます。キャリアも年齢も関係ありません。

他の案件と同様に依頼を引き受けただけで、今回まさかこのようなことになるとは思っていませんでした。何より、本文の色校正や告知の内容を確認する段階などでこうなることを予見し防げなかった自分の甘さが最大の問題だったと思い、意識の低さを反省しています。もう終わったことなので、いい勉強だったと思って今後の活動に活かしたいですね